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act.2 Gather ye rosebuds while ye may. 1
正午。
昨日、啓太と出会った桜の木に寄り掛かり、和希は空を振り仰いだ。
雲一つない、青。
(いい天気だな…)
空の青を見たら、なぜか不意に啓太を思い出した。
そこへ。
「和希~!」
「……っ」
ハッとして、声のした方を見ると、見慣れたワインレッドのメイド服にエプロンのレースをひらひら揺らしながら、大きなバスケットを抱えた啓太がこちらに向かって一生懸命に駆けてくるのが見えた。
「よかった。迷わずここまで来れたみたいだな」
「…和希が…手紙の中に…地図入れて…くれたから」
「だ、大丈夫か?」
はぁはぁ、と息切れしながら膝に手を置き、握り締めた地図を見せる啓太に思わず苦笑する。
「な、なんとか…」
「ところで啓太、その大荷物は一体…?」
啓太が芝生の上に置いたバスケットはなかなかの重量がありそうだった。
その証拠に、置いたときドサっといい音がしたし。
「あっ、これ? 俺のお昼ご飯とお茶セット」
「お茶セット…?」
バスケットからレジャーシートを取り出してバサバサと広げる。
「うん」
ドジっ子な見た目に反し、案外手際はいい。どうやらこの短期間で鍛えられてるという話は本当らしい。
「和希は、もうお昼食べたのか?」
「あ、あぁ…一応…」
和希は無意識に啓太から目を逸らし、右の頬を指で掻いた。
今日の昼まではフリーだったが、こうして自由に動き回る時間を確保したかったので午前中にも当たり前のように仕事をしていた。
パソコンを操作しながら、適当に珈琲とサンドイッチとサプリメント(※自社製品)で済ませた、とは流石にあまり大きな声では言えないから曖昧に頷いておく。これが続くと石塚や篠宮にさりげなく苦言を呈されるのだ。
「そっかぁ。もしまだなら一緒に食べようかなと思って…ちょっと多めに詰めてもらったんだけど…」
パカっ、とお弁当箱を開ける。
「「……」」
おにぎり、卵焼き、から揚げ、ハンバーグ、ポテトサラダ、煮物等など。
中身がぎっしり過ぎる。
平日昼休みのお弁当ではない。
明らかに一人前(+α)の域を越えていた。
「……多くないか?」
「……うん」
これは、一体どこの行楽弁当だ。
確かにお花見の時期はもうすぐそこだが。
「や、でも篠宮さんのご飯美味しいし、頑張ればこのくらい食べられる…はず! 多分…」
「ちょっ、待て待て。流石にこれは…太るから止めておけ。残すのも勇気だ」
「でも……篠宮さんが言うんだ……」
「……何て?」
「『伊藤が残さず食べてくれて嬉しい。好き嫌いがないのは偉いぞ。俺も作り甲斐がある』って、すごく嬉しそうに……」
「……」
「篠宮さんのご飯、こんなに美味しいのに……岩井さんも“ご主人様”もほとんど食べてくれないから、一生懸命作っても張り合いないって寂しそうな顔で…」
言いながらその時のことを思い出したのか啓太の表情も切なげに曇る。
「……っ」
(俺か!? 俺が悪いのか――!?)
思いも寄らぬところからの突然の苦情に、和希はギクリとした。
(石塚の奴、まさかとは思うが……俺が今日啓太と会うこと、篠宮さんに言ってないよな?)
一応、和希は秘書の石塚にだけは啓太とこうして会うことを伝えていた。
午前中、執務室にて。
『昼休み、噂のメイドに屋敷を案内してくるよ』
昨日のことを思い出し、クスクス楽しげに笑う和希を見て石塚はやれやれと肩を竦める。
『和希様、あまり…伊藤君をからかっちゃダメですよ?』
純粋ないい子なんですから、と。
『そんなつもりはないさ…ただ、』
『…ただ?』
ただ、もっと…彼と話をしたいだけ――。
「……わかった」
「えっ?」
ギクリとしたと同時に良心も少しは痛んだから。
「俺も食べるの手伝うよ。ほら、一緒に食べようぜ」
「ホントに?!」
ぱあっと啓太の表情が明るくなる。
大きな瞳がきらきらと瞬き目が離せない。
どくん…っ。
庇護欲が駆り立てられる。
(これは…ヤバい、な)
丹羽はともかく、西園寺や七条、あの中嶋までもが陥落した理由がわかった気がした。
(ハマりそうだ……)
不覚にも。
ポットの口からゆらゆらと湯気が立ち上り、温かい液体がコポコポと音を立てて注がれる。
「はい、和希」
「あぁ…ありがとう」
緑茶の香りが漂い、気持ちが自然と落ち着く。
手渡されたお茶を一口飲んだ。
じわりと胸に染み渡る。
「何か…」
「んー?」
「久しぶりにしっかり食べたって気がする…」
「えー? おいおい、和希…今まで一体どんな食生活送ってたんだよ?」
大袈裟だなあと笑いながら啓太は空っぽのお弁当箱に「ごちそうさまでした!」と言って蓋をした。
「あ、もしかして…お前も岩井さんみたいに仕事に集中したら周りのこと何も見えなくなるタイプだったりするのか?」
「あーいや、流石に俺もあそこまでは酷くない…」
はずだと思いたい。
「もー…だから和希、昨日もちょっと顔色悪かったんだな。今日は……」
「え……?」
言いながら、啓太が顔を近づけて覗き込む。
上目遣いで。
(――っ!)
「ん、よし! 今日は平気そうだなっ」
「~~っ」
情けないが、突然のことに心臓がばくばくした。
(無防備すぎる…)
天然って恐ろしい。
「あれ? どうしたんだ、和希? 今度は顔赤いぞ? 熱でも…」
「や、大丈夫。俺は到って健康だから!」
「???」
人の気も知らず、こてんと可愛く小首を傾げる啓太に頭痛がした。
「そーいや和希…俺びっくりしたよ」
「ん?」
「手紙」
ごそごそとバスケットから取り出したのは一通の白い封筒。
今朝、啓太が俊介から受け取ったものだ。
「こんな大人な手紙もらったの初めてだから…開けるの緊張したんだぞ?」
「大人…って、普通に書いたつもりなんだけど…」
「え、えー…俺の周りでこんなきちんとした手紙くれる友達なんかいないよ~。なあもしかして和希って…堅苦しい部署で働いてるのか?」
“堅苦しい部署”。
「…っ」
啓太の言葉のチョイスがちょっと面白くて思わず噴き出してしまった。
「なっ、何だよー! そんなに笑うことないだろ!」
「あ、あぁ……ごめんごめん!」
「も~…」
もしも、和希がこの屋敷の主人だと知ったら啓太はどう思うだろう。
両手を腰に当て、頬をぷくと膨らませる啓太は可愛かった。
「……」
遠慮も何もない素直な表情が眩しい。
「中の『拝啓~』はともかく、封筒のこの封の仕方」
「これが…?」
「俺の勝手なイメージなんだけどさ…最初見た瞬間、西園寺さんあたりはこういうの使いそうだよなあって思ったんだ。上品なの好きそうじゃん?」
「え…?」
「七条さんは電子メール、中嶋さんは…難しい言葉使いそうだけどシンプルで…封筒にまで凝らない気がする。丹羽さんは…手紙書くくらいなら直接会いに来るか電話しそう。もしも手紙書くならハガキに用件だけ簡潔に書きそうなんだよなあ。そう思わないか?」
「……成程」
啓太の見解に茶々を入れるでもなく、和希は静かに耳を傾けた。
(やはり…ただ素直ないい子ってだけじゃないみたいだな。啓太…洞察力あるじゃないか…)
感心しつつも、このままだと自分の正体についても見透かされてしまう恐れがあると危惧し、和希は話を変えることにした。
「ところで啓太…俺が携帯に送ったメールには気づいたのか?」
「あっ! そうだ。手紙もだけど、それにも俺びっくりしたんだった!」
「…何が?」
「だって…和希、よく俺の携帯のメアドわかったな。昨日、結局何も教えてなかったから…どうやって連絡取ればいいのかなって思ってたんだよ。もしかして、手紙預けたとき俊介に聞いたのか?」
「ん…いや、別の奴…かな?」
正確には、啓太の履歴書や鈴菱で管理している使用人の個人データから拝借したのだが。
「そっか~」
「……」
良心が痛む。
だが、こうして先手を打っておかないと、啓太が周囲に尋ね回って自分のことを知る可能性があった。
いずれ知るべきことだが、今はまだそれは避けたかったから。
「一応、メールのほうが本命で…手紙は保険だったんだけど…」
「えっ? そうだったのか!? 俺、手紙先に読んで…携帯のメールは昼休みになってから気づいた…」
あはは、とごまかすように啓太が笑う。
「…やっぱり、な」
そんな予感はしたんだ、と和希は二通り選んだ自分を褒めてやりたくなった。
「啓太って…勤務中、携帯をロッカーに入れっぱなしにするタイプだろ?」
「わっ、悪かったな!」
「……」
図星、か。
「普段からあんまりメールも使わないし、家族とも電話で話すからさ」
「…ということは、機種も古かったりする?」
「え、機種? そうだなあ…高校に入学する時に買ってもらったから…」
「…よく、わかった…」
今時、貴重な子だよ(涙)と和希はしみじみ思った。
「――そうだ」
「え、和希…何?」
「ああいや…こっちの話。後で話すよ」
「?」
悪戯を思いついたような和希に啓太は首を傾げる。
「ところで啓太、昼休みあとどれくらいだ?」
「え、あ、あと…15分くらい…かな?」
「そうか。もうあんまり時間ないな…」
予想だにしなかった篠宮の特製弁当のおかげで(笑)
「じゃあ、屋敷の案内は夜からにしよう。明日から昼休みは、食後に庭や外の施設を、夜は就寝前の30分くらい使って屋敷の中を案内するからさ。……それでいいか?」
「えっ、あ、俺は勿論…いいんだけど……和希はホントにいいのか? 迷惑だったりしない?」
「全然」
にこり、と優しく微笑むと啓太も嬉しそうに笑ってくれた。
「ありがとう、和希!」
そのまま膝を抱えた啓太はぽすんと顔を伏せる。
「……よかった」
呟くような小さな声。
「え?」
「和希みたいな奴と友達になれてよかったなあって」
「…啓太?」
膝を抱えたまま、啓太が和希を見て切なげに笑う。
その大きな瞳がかすかに潤んでいるように見えた。
「勿論、和希だけじゃなくて、このお屋敷で出会った人みんないい人ばっかりなんだけどさ。…実は俺こう見えても最初すごく不安だったんだ。母さんの代わりにって考えなしに飛び込んじゃったけど…俺に出来るのかなって。でも絶対クビになるわけにはいかないから早く何でも出来るようにならなきゃ…頑張らなきゃって。それでよく空回って失敗するんだけど…みんな優しいし…今はここに来てよかったって思うんだ…」
「…そっか」
顔を見られたくないのか、さっきからずっと膝の上に伏せたままだ。
だが、ほんのわずかだが、身体が震えているように見えた。
(啓太……)
気がついたときには、もう己の手は伸びていて。
ぴんと跳ねる茶色の柔らかな髪を、啓太の頭を、優しく撫でていた。
何度も。
何度も。
今まで、こんなに優しい気持ちになったことはあっただろうか――?
「和希って……ホントに、いい奴だよなあ……」
くぐもった声。
その信頼しきった声音に、髪を撫でていた手が、一瞬止まる。
「そんなことないよ……」
そう――俺はただの意気地無しの嘘つきなんだ。
翌日の昼に一緒にまったりご飯を食べただけの二人。
まだまだ先は長い…_| ̄|○
この後、ご主人様が何をするのか…展開読めますね(;・∀・)エヘ★
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