えーとですね。
実は私には随分と前から悩み事がありました。
文芸部に所属していた頃に毎月100ページ以上の冊子を鬼のように作っていたのですが、卒業後…布教のつもりで…そういうのに興味があるからって言ったので別の大学の子に冊子一式を貸したことがあるのです。
無料配布だったこともありますが、毎月50~150冊リソグラフで刷ってもはけました。残部がないので自分の取り分をレンタルしたわけです。
これが…なかなか戻ってこなくてなぁ…(-.-;)
関係者以外にはちり紙交換に出しても差し支えないシロモノでございましょうが…俺様は関係者やねん。orz
しかも一応は部長で、編集長ナリよ…(T_T)
大事なモノだったので、しつこく思われても仕方ないと意を決して「すまん、頼む。大事なモノだから返しておくれ」と言いました。
それからしばらくして返ってきたのでホッとしましたが…
最終刊だけないっす…!(;_;)
…これ以上言うのも心苦しいので、その人からの回収は泣く泣く諦めました。orz
まあ元部員や教員の誰か、もしくは図書館あたり探せば一冊くらいはあるだろうから…自分の原稿以外をコピー出来たらな、と。
あー…ちなみに真っ先に思い付かないといけない文芸部自体ですが…私の次の次の代で潰えたらしいです(涙)
…同様に自分達で発足した高校の文芸部は今でもちゃんと存続してるらしいのになあ(トオイメ)
まあそんなわけで、本日は冊子探しというもう一つの目的もあったわけです。
偶然ですが、幸いIちゃん(実は元部員)に会えたのでダメ元で聞いてみようと思ってました。
でもその前に、日文資料室。
この部屋にも日文の生徒がよくたまるので、部屋に置いておけば手に取りやすいだろうと企み、冊子と感想ノートなるものを部の発足以来常備するようにしていたんですよね私v
何かあったとき(例えば、懐が貧しくなったとき、学内の職員どもから寄附や募金を募りやすくするため)に図書館にも生協にも学生課にも自治会にもスマイル0円の精神で必ず一冊はお配りしておりました(^-^)←えげつない
「新刊待ってたよー」と職員に言われるようになった時は、内心「ヨシ!これで来年度予算はある程度いける( ̄一 ̄)★」と、ほくそ笑んだものです。
…発足時って部費がなくて自費でやらないといけなかったから手段なんぞ選んでられなかったのさ(-.-;)
売り込める時は売り込む。
印刷代は…結構強力なスポンサー(うちの教授)についてもらってたからやっていけたがな。
まあ事情説明した後に二人で部屋を探索したらば…

最終刊、出て来たよ!!(┬┬_┬┬)
…こう見えて112ページあります。
表紙は毎回絵が描ける誰かに描かせてました。
まあ分厚いコピー本みたいなもんだね。
二冊目以降ページが多すぎて袋とじもやめたし、綴じられないから業務用のホッチキス買いに行ったんだ…。
気が狂いそうになりながら自分で印刷して、100冊前後ホッチキス留めしてました。
ホッチキスは部員召集してできたけど、印刷はリソグラフ一台しか使えなかったから仕方ない…慣れない子じゃ紙が詰まっても修理出来ないもんな…orz
そんな汗と涙とインクがグチャグチャにつまった思い出の冊子です(イヤだなあ)
部員から毎月借金取りのように原稿取り立てつつ、自分もきちんと寄稿しましたが、学外(他校)から寄せられた原稿も載せてましたね。
毎月(最短二日で)30ページ前後の原稿書いてた自分にビックリ。
当時の自分よカムバック!
…私がここ数年の間、最終刊に執着した一番の理由はコレです(笑)

同じ学年の部員が(講義中にこっそり回して)書いてくれた俺宛てのコメント。
数年ぶりに読み返して、
「バカだなぁ…」
と笑ってしまいました。
くすぐったいものですねぇ。
…うちらの代の活動は一年間だけだったけど、楽しかったですよ(^-^)
幸い資料室に最終刊は二冊あったので、一冊頂いてきました。
…いいよね?f^_^;
しかし…三年分のうち流石に何冊かは抜けてたけど、部が潰れた後も発行した分のほとんどを残してくれてて嬉しかったなー。
感想ノートも最後のページまで全部埋まってたし…。
俺らの卒業後も後輩達はそれなりに頑張ってたんだろうなあと初代はしみじみ思いました。
ノートをぱらりとめくって…日付から察するにちょうど三代目の頃かな。
「最近、殺人事件が多い」
と書いてあって…
「あぁやっぱり…大変だったのかも…」
と切なくなりました。
実は、この年にこの子達と同じクラスの子が事件に巻き込まれて亡くなっているのです。
全国ニュースにもなったので今でもよく覚えています。
うちって30人程度の学科なんです。
受験勉強頑張って合格して県外からやってきて、一人暮らしを始めて…
私の友人達もどちらかというと県外からきて一人暮らししてた子が多くて、たまに皆で誰かのアパートに集まってお泊まりしたりもしました。
小~高校よりは個々の繋がりって深くないかもしれない、けど。
…クラスメートが突然いなくなるのはすごくキツかっただろうな。
私は三代目の子たちとも少しだけ手紙でやりとりしていたので、一度くらいは顔を出そうかなと思っていたのですが…そんな矢先に事件が起きたので、気軽に学校へ行くことがどうしてもできませんでした。
この頃まだ在籍していたうちのゼミの教授からは、犯人逮捕後「今度裁判所に傍聴に行きます」とお話を伺っていましたし。
今日Iちゃんとも話したのですが、この事件も先生の具合を悪化させた原因の一つなんじゃないかなーと。
そちらが少し落ち着いたかなーって頃に、今度は事故ですが…
通行中に倒れてきた重機の下敷きになって…そちらは違う学科の子だと思うけど、一人亡くなってるんですよね。
なんというか…たとえ自分と直接の関係がなくても…
きっと、その代の子は心のどこかで痛かったんじゃないかなと…。
そういう意味でも、当時はきっと大変で…一生懸命過ごしてたんだろうなと…年増のおねーさんは思ったわけです。。。
ノートの中で自分の悩みや思ってることをいっぱい語っている子もいたみたいだから、あの頃…少しでもはけ口になっていたならいいんだがなぁ。まあ、また機会があれば(助教授まだ二人残ってるし)遊びに行くのもよいかもです。
最初は行くの迷ったけど、先生や友達や後輩にも再会出来たし…長年の悩み事も一つ解決したので…今日はやっぱり行ってよかったなー☆
つーわけで、かなりスッキリしました。
最後までお付き合いありがとですv
しっかし…
自分の過去原稿怖くて読めねぇええっ!orz

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